【 ガンノート: 雑記 】

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タイトル : <我がエアガン人生の歩み 〜 part3 〜 >

2002年2月28日

〜 チャプター1 : いきすぎた時代 〜

それは1995年〜1998年頃の約3年間続いた・・・

すなわち 「 極悪パワー時代 」 である。

もっと遠くへ! もっと小さい的に!
その願望が結局、パワーアップというカタチで具体化されていった。

前年の1994年のある日のことだ、
我が友イシケンから、衝撃的な情報が飛び込んできた。
その情報とは、約20メートルの距離でカメラのフィルムケースを狙える、
エアガンがあるらしいというのだ。

さっそく二人は調査し、実際にこの目でそれを見た。
それは、いわゆる有名・悪名共に名高い、
某ボルトアクションのエアコッキングライフルであった。

ところがそこに存在していたものは、
どれも既に玩具店等で販売されている元の状態とは全く異なった代物であった。
実際に撃たせてもらったが、それはもう 「 おもちゃ 」 の範囲を逸脱していた。
しかし、当時はそこまで冷静な判断は出来なかった。

その命中精度に魅せられてしまった。
そこからだった。
自分もパワーを求めていったのは・・・

この時追い求めたパワーアップは、
第一次エアガンブームの時のパワーアップに比べて、
はるかに危険的要素の強いものになった。
あえて数値は書かないが、かなりのパワーを出していた。
毎回毎回、筋肉増強健康機具並みの力で、
コッキングボルトを引かなければならなかった。
凄い人になると金属製のコッキングハンドルが金属疲労をおこして、
もぎとれる場合もあった。

また、トリガープルも異様に重くなっていった。
だが、確かに飛距離は伸びた。
命中精度も上がった。
しかし、グロック17を手にした時の最初の感動は既に失せつつあった。

この時期はまた、初めての電動ガンを手に入れた時期でもあった。
最初に手にしたのは MP5 である。
間違ったことに、買ってきていきなりバラシ始めた。
もちろんパワーアップが目的である。

最初は全く知識がなかったので、ただ強いスプリングを入れただけだった。
もちろんうんともすんとも動かない。
バッテリーをより大容量のものに替えてみた。
すると、ハンドガードが一瞬 パッ と青く光った。
キレイだなーと思った。
しかしやはりうんともすんとも動かなかった。
ハンドガードを取ってみると、ヒューズの中のニクロム線が消えてなくなっていた。
それからだった、ギア比を変えないとだめだと知ったのは。

この頃は今みたいにギアがフルセットで、
無加工で取り付け可能などという便利な、お手軽製品などはなかった。
製品どうしの 「 相性 」 が悪いと、
一発で 数千円 もする ギヤ( ギア ) はオシャカになった。
結局メカボックスを2個オシャカにした。
暴発して、右の人差し指を怪我した。
今でもこの傷は消えていない。
そういった失敗を繰り返し、ようやくハイパワーな電動ガンを手に入れた。

エアコッキング・ボルトアクションと違って、
電動ガンはコッキングしなくてよいし、
強いスプリングを入れてもトリガーが重くなることもないので、
撃つたびに興ざめすることはなかった。

さて、1998年に突入すると、仕事が猛烈に忙しくなった。
月の平均就労時間が300時間を突破していた。
自由な時間が失われた代わりに、残業代等で収入はかなりあった。

仕事のストレスを買い物で発散した。
毎月電動ガンを買った。
その際、一緒にカスタムパーツもふんだんに買ったので、
毎月一丁買うのに、10万円は出費していた。

毎日大変な業務が続く中、
その場で一緒に働いたメンバー同士に仲間意識が築かれ始めた。
そしてその仲間達も皆、自分に影響を受け、この世界に入ってきた。
なんとか休日がとれた日などは、全員で河原に集合して、
強力パワー電動ガンを使ってプリンキングを楽しんだ。
一級河川の対岸まで楽勝で弾は届いた。

最初はBB弾をばらまくだけばらまいてそのまま帰ってしまった。
そのあまりにも大量にばらまかれたBB弾の光景を見て、
いくら人が立ち入らない場所であろうとも、
次からはきちんと回収するように心がけた。
ただ、パワーアップに関しては全然やめる気はなかった。

一年が過ぎ、激務続きの職場と別れを告げる時がやってきた。
時は1999年、世紀末に入りかけようとしていた。
河原でプリンキングを楽しんだ仲間も解散となった。
それぞれがまた、別々の現場で働くようになった。
自分も、東京から千葉へ引っ越した。
今度は結構広い部屋に引っ越せた。
前のメンバーは皆バラバラで、それぞれがまた忙しい身になっていたので、
野外で一緒に思いきり射撃を楽しむことはなくなっていた。
自分もわざわざ休日に電車を2時間以上かけて
撃ちに行くほどの情熱はなかった。

また、室内お座敷シューティングに戻っていった・・・


チャプター2 : 現在、そしてこれからの展望へ続く・・・


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