【 ガンノート: 雑記 】

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我がエアガン人生の歩み : 後編はこちら


タイトル : <我がエアガン人生の歩み>

2002年2月20日

そもそもエアガンに興味を持ち始めた頃は、
命中精度などにはさほどこだわっていなかった。
大体の人がそうだと思う。
元々命中精度をつきつめたいからエアガンに興味を持った、
なんていう人はそうそういないだろう。

大体小学校高学年生〜中学生くらいになると、
やっぱり男の子なもので、エアガンが欲しくなってくる。
たいていは映画、ドラマ、マンガ、ゲームの主人公や、
ヒーローにあこがれて、というパターンである。

自分が最初にエアガンを手に入れたのは1980年頃であったと思う。
マスダヤというメーカーのデタッチャブルSS−5という、
実銃には存在しない銃で、
黒いケースに入れられて、なおかつ当時流行の合体ロボのように、
いろいろとアッセンブリパーツを付け替えて遊べるという、
まぁ、エアガンというよりは、弾が出る合体変形武器のようなものだった。

また、つづみ弾と呼ばれる今のBB弾とは違う形状の弾を使用していて、
パワー、飛距離、命中精度は今のエアガンとは、
比較できないくらいショボイものであった。
それはそれで安全なおもちゃではあったが・・・
取り敢えず親にねだって買ってもらったのだが、
記念すべき、自分がオーナーの最初のMYエアガンであった。

さて、自分が本格的にエアガンにのめりこみ始めたのは、
1984年後半からのコトである。
この頃自分は中学3年生後半〜高校1年生で、
当時新聞配達をしていて、給料は全て自分の小遣いという、
リッチーな学生であった。

また、この頃はBB弾エアガン登場の最初期という時代で、
今みたいに18歳未満購入禁止というようなシビアなこともない、
きわめてのんびりしていた時代であった。

で、最初に買ったのが、マルゼンの作るコッキングエアガンだった。
スミスさんとウェッソンさんのM59という、
オートマチック拳銃を買ったのだ。
この存在を知ったのは、当時から既に愛読購読していた雑誌、
ホビージャパンに記載されていた広告と紹介文によってである。

早速購入して作ってみた。
かなり興奮した様子で、
我が友イシケンにもその素晴らしさを力説したところ、
彼も少し遅れて第二弾商品のコルトさんのガバメントという、
オートマチック拳銃を購入した。
大体3千いくらくらいの値段だったと思う。
二人ともガンプラモデラーだったので、
刻印にホワイトを入れたりしてドレスアップしたものだ。

ところで、このマルゼンの作るエア・コッキング・ガンだが、
今の東京マルイのコッキング・ガンシリーズとはだいぶおもむきが違う。
まず、コッキングは現在の物と違って、押し込み方式である。
引くのではなくて、押し込んでピストンを圧縮するのである。
また、BB弾をダミーカートに一発一発詰め込んでマガジンに装填した。
装弾数は7〜10発である。
射撃後カートリッジ(薬莢)がスプリングの力で排莢されるという、
なかなかリアルといえばリアルなギミックであった。

ちなみにこのカート、これがないと撃てないし、
なくすともったいないので、
カートキャッチャーなる、エジェクションポート(排莢口)
に取り付けて、カートをなくさないようにする商品も出ていた。

さて、弾が出るおもちゃを持った少年二人がやることと言えば・・・
そう、やはり空缶撃ちとか撃ち合いごっこである。
しかし自分達は銀弾てっぽうで既に撃ち合いごっこは経験済みである。
銀弾てっぽうとは、駄菓子屋などで手に入った300円クラスの、
銀色で、すぐ砕け散る丸い弾が出る、トリガーを引いただけで、
弾が発射されたおもちゃである。

我々はもう少しハイレベルな遊びをしたかったのである。
ところがこれまたなんとも時代のタイミングとは素晴らしいもので、
サバイバルゲームなる言葉が雑誌で登場&紹介され始めるのである。

1982年にアメリカでネル・スポットガンというガスガンを、
使用した遊び的要素が強いスポーツを、
1983年頃に日本でも行い始めたのがブームの始まりで、
まさしく自分とイシケン(今年で友人関係20周年記念)は、
その時代に、1年ちょい遅れてリンクしてしまったのである。

で、早速二人して友人の紹介のサバイバルゲームチームに入隊だ。
メンバーは全員高校生という若年層チームであった。
当時はサバイバルゲーム自体登場したての頃だったので、
対戦チームなどなく、もっぱら同チーム内対戦オンリーであった。

この頃、我々は北海道の札幌に住んでいて、
ちょっと歩くと人気が全く無い裏山などはいくらでもあり、
また、今みたいにエアガンを取り巻く状況もシビアでなく、
なにより全員風貌容貌がまだ子供だったということもあって、
別段エアガンを持って山で撃ち合いをしていても、
世間的にも全く問題なかった時代なのであった。

本格的ではないにしろ戦闘服を着こんで撃ちあいしていても、
たま〜に森林巡回員のおっちゃんが見回りに来て、
「 おー戦争ごっこか、ワシもようやったのう 」
「 ケガすんでねーぞ 」
という極めて平和的なのどかなセリフを残して去っていくもんだったのだ。
基本的に人は全くこないような場所でやっていて、
こわいのはブヨ(刺されると痛い羽虫)ぐらいのものだった。

撃ち合いしていると、やはりそこはそれ、勝ちたくなるものだ。
それこそヒーローのように。
で、あれこれ当時の年齢なりに工夫したり考えたりしたのである。
もちろん基本的には自分の戦闘力のポテンシャルアップだ。
迂回方法、狙撃方法、アンブッシュ(待ち伏せ)方法など、
敵に見つからないように隠れる技術がほとんどだった。
アンブッシュ能力が最高潮に達した時は、
前述したデタッチャブルで超至近距離から、
( じゃないと飛ばない&当たらない )
敵をヒットしたこともあった。

ところがそんなある日、メンバーの一人が風変わりな銃を持ってきた。
その銃の上面にはカメラのフィルムケースが取り付けられているのだ。
コレなんじゃ? と、興味津々で皆近づいて見た。
すると、中にはBB弾がジャラジャラ入っている。

そう、これがいわゆる 「 カートレス 」 の始まりだったのだ。
( ケースレスとも呼ばれる )
たかだか1年も経たないうちに技術の進歩は急加速していた。
( というよりホビーに対する人間の要求と発明とは恐ろしいものだ )
つまりカートなしで、排莢なしで、BB弾だけ発射するという、
恐ろしい兵器が登場してきたのだ。

これには恐れ入った。
我々が1発撃つ間に敵は3発近く連射してくるのだ。
この敗北により、我々研究班も早速収集し導入した。
この頃は改造キットなど、どこも商品として発売していなかったので、
自分で材料を仕入れて改造した。
みるみるうちにカート式エアガンはフィールドから姿を消してった。
また雑誌もシンクロ、呼応して、どんどん誌面にエアガンや、
サバゲを取り上げ始めてきた。

そんななか月刊コンバットで ケン・ノザワ 氏が、
衝撃的な論文(って論文か?)を発表するのだ。

「 クリーンヒッター理論 」 がそれだ。

雑誌での、エアガンのグルーピング・命中精度に対する、
本格的な向上研究に関する特集は恐らくこれが最初ではなかろうか?
( 内容の信憑性はどうあれ・・・ )
ともあれ、サバゲで勝ちたい、と貪欲にいろいろあれこれ試行錯誤していた、
アホウな中〜高校生だった、自分にとっては、
( 恐らく今でも充分アホウだけど )
これはまさしくセイテンのヘキレキであった。

もちろん皆には内緒だ。
誰が教えるもんか、自分だけ最強の銃で闘うのだウッヒッヒ状態で、
何度も何度も熟読し、銃にフィードバックしていった。
しかも使用した銃は最初に書いたマルゼンのハンドガンだ。
ちなみに最初にマルゼンのハンドガンを手にしてから、
ここまでで1年も経っていないという時代の進歩スピードだ。

具体的に何をしたかというと、インナーバレルに、
細いマスキングテープを貼ってストレートライフリングを
作ってやったり、サカエヤのゴム製ブラックBB弾を使用したり、
トリガー周りの金属部品(シアーなど)を磨いてツルツルに、
してやったことくらいだ。

これで、やきそばUFOのフタを木にくくりつけて撃ってみたところ、
( 距離までは正確に覚えていません、
なにぶん子供のやってたこと&今から17年も前のことなので )
友人の同銃と比べてほぼ百発百中になった。

これにはシヴィれた。
ここで得た試行錯誤を早速メインウェポンにも導入した。
その頃の自分のメインウェポンはマルゼンのミニウージーであった。
やはりカート式のエアガンなので、カートレス( ケースレスともいう )
に改造して、バレルはもちろんウヒヒ・カスタムだ。
ところがこのウヒヒバレルは欠点だらけで、
サカエヤのゴムBB弾では詰まったり、
夏など気温の高い時はテープの「のり」でバレル内が
ベタベタになったりして性能が逆に低下したこともあった。

しかし、これまで自分が生きてきた人生の中で、
エアガンに対する 「 命中精度 」 という言葉にこだわり始めたのは、
まさにこの時が始めてだったと思う。

さてその後、このエアガンという商品は大ヒットしてバンバン新商品、
新規参入メーカーが登場してくるのであった。
もちろん自分も持てる財力の限りをフル動員して追従していった。
いろいろ買った。
とりわけ、高校合格祝いで、かねてより父ちゃんにねだっていた、
コクサイのスーパーウェポンシリーズのM16を
手にしたときは、ここまできたか!と感動すらした。

スーパーウェポン・シリーズとは、モデルガンとエアガンが、
融合した画期的商品で、モデルガン用のキャップ火薬を使用して、
ダミーカートを排莢するギミックと同時に、火薬の爆発力を利用して、
スプリングを圧縮して別に用意されたもう一本のバレルから、
BB弾を発射するという、この説明だけではなんともヤバそうな商品である。
この機能を使えば、夢のセミオート射撃が可能だった。
つまりコッキングしなくてもトリガーを引くだけで発射可能な銃なのである。
しかも最初からケースレス!( しつこいようだけどカートレスともいう )

ところが実際、キャップ火薬を使用しての射撃は、キャップ火薬の燃焼カスが、
こびりついてすぐジャムるのと、派手な射撃音で敵をおびきよせるので、
結局フィールドでは作動させなかった。
というよりそんなもんリスキーすぎて作動させられなかった。
ちなみに手動でコッキングしてBB弾だけを発射させることも可能で、
命中精度もなかなか良いものだったのと、何よりカッチョ E し、
皆の羨望のまなざしを注がれていたのでしばらく使用していた。

・・・が、この夢のウェポンもすぐに老朽化して、
第一線からは消えていったのである。

「 ポンプアクション 」 の登場である。

ポンプアクションとは、ショットガンのように、
銃身下にあるスライドを前後に往復させることで、
ピストンをコッキングさせる機能のことである。

これがまた、慣れると異常に速い、驚異的連射速度である。
こうなるとただひたすら弾幕ゲームになってきて、
結局、塹壕 ( といっても単なる林道の溝 ) 戦で、
お互いひたすら連射ゲームと化した。
それでもイシケンと自分は長距離迂回して、
後方から長射程のM16で奇襲をかけたりもした。
しかしポンプアクションの弾幕の前にはあえなく玉砕していくのである。

また、この後、イシケンはお父さんの転勤により、
北海道を去ることになってしまったのであった。
友との別れは悲しいものだが、
実際には、お互いかなりドライで、「またな」で終了であった。

イシケンが札幌を発った後も、自分はまだチームに残ってゲームを続けた。
一度、映画のランボー2を見て、
エスカレートして池の中に潜って隠れたこともあった。
ザバァ〜っと勢いよく飛び出した時の相手の驚愕と、
恐怖に引きつって何も出来ない顔は今でも愉快で思い出に残っている。

その頃は本当にエアコッキングガンがアメーバのように増殖しつつあり、
自分のメインウェポンもポンプアクションに変わっていた。

しかし、やはり前述した通りの弾幕塹壕戦。
このパターン化しつつあったゲーム内容に、
だれかれとなく皆飽き始めきたようで、
とうとう我がサバゲチームは自然消滅していったのだ。
それに合わせて自分の趣味もまたプラモデルにウェートが戻っていったのだ。

しかし、エアガンは買い続けた。
とりわけ室内で気分転換に撃つのに、ピストルを数多く買うようになった。
この間かなりいろいろ買った。
とりわけ組み立て方式のコッキングガンを多く買った。
そしてとうとう高校3年生の頃に夢のエアガンを手にする。

「 ガスガン 」 である。

その1年前に登場し雑誌でとてもセンセーショナルに発表された、
MGCというメーカーの 「 ガスガン 」、ベレッタM93R。
最初は付属のエア圧縮ポンプで圧縮空気をマガジンに溜めるタイプであったが、
初弾と最後弾で初速がとてもバラつくので、液化ガス方式に変わった。

当初、その存在自体は知ってはいたものの買うには至っていなかったのだが、
93Rイチロースペシャルの登場が私の購買心に火を付けたのであった。
といっても野球のイチローではない、多分彼はまだ小学生だっただろう。
ここでいうイチローとは
「 イチロー ナガタ氏 」 というガン系雑誌のライターさんのことだ。
ところで自称イチロー氏の弟子の ケン・ノザワ氏といい、
何故にカタカナで英語圏チックなペンネームなのだろう?

おっと話がそれた。
全身真っ黒ボディに迫力のマズルコンペ、
この頃の自分のハートをがっちりキャッチしたようで、
速効で「 ガンショップ・みき 」に通販注文したのであった。

届いて早速撃って、もうビックリ感動モンだった。
これまでコッキングしか知らなかった自分にとっては、
ガスガンってこんなにスゲェのかとかなり驚いたものだった。
トリガー引くだけで弾が出るなんて夢のようだったのだ。

そう思ってたその年の春、さらに驚きの商品をゲットするのである。

「 ガス・フルオート 」である。

これまた古くは既にその1年半以上も前に、
アサヒというメーカーからブッシュマスターという商品の、
フルオートガスガンが出ていて、その存在は知っていたのだが、
その頃は前述した理由でプラモの方にウェートが傾いており、
購入には至らなかったのだが、
マルゼンからイングラムMAC10が出たと知って、
しかも 「 ブースターセット 」 という聞きなれないシステム塔載
ということで、早速買ってしまった。

これがまたスゴイのなんの。
横で見ていたおふくろも、これは面白いわねぇ、というくらい面白かった。
( 我が家族は個人の趣味に関しては極めて寛大 )

ただ、この頃は既にサバゲ熱は冷めてしまっていたので、
せっかく手に入れたフルオートも結局、使用頻度は極めて低かった。

ところが、これとほぼ同時期に完全に今後の動機を決定付ける、
とんでもない奴と出会ってしまうのである。
こいつのせいでこれから後、命中精度にかたくなに傾倒する、
決定的要因を産み付けられてしまうのである。

東京マルイの1980円、コッキング 「 ルガーP08 」 である。

最初はなんてことない安いおもちゃ程度にしか考えていなかった。
だから発売された当初でもさほど関心が無かった。
ところが、その後の各雑誌でのレビューを読んでいると、
これが実に驚異的命中精度を持つと、こぞって大絶賛なのだ。
1980円だし、そこまでいうならひとつ買ってやろうか、
ということになり、購入に踏み切ったのであった。

さて、いつもどおり居間をまたがった廊下で射撃を開始した、
といっても4メートルくらい。
最初に不思議に思ったのが、
BB弾が他のと違って表面がザラザラしていたことだ。
早速数発ティッシュの箱に撃ちこんでみた。

おっ、結構よくあたるね。
当たり過ぎるので銀行からもらった小さな貯金箱に撃つ。
へぇーこりゃ結構当たるぞー。
えんぴつを置いてみた。
まさかねぇー。
・・・・初弾でヒット・・・・

これには参った、百発百中とまではいかないけど、
凄まじい命中精度だった、それの約10倍の値段の、
ベレッタM93Rよりも当たった。
とりこになった、一発で虜になった。

だが、時期的に高校卒業が近かったので、
自分で徹底的にカスタムチューニングするところまではいかなかった。

高校卒業&上京後もたまにちょこちょこエアガンは買った。
組み立てコッキングガンも買ったし、ガスガンも買った。
初めて買ったものからこれまでに買ったガンを、
かろうじて思い出せるもののみを羅列して書くと、

マルゼンコッキングS&WM59、3〜4丁は買った。
マルゼンコッキングガバメント、
マルゼンコッキングミニウージー、
マルゼンコッキングポンプアクションイングラム、
(↑ちなみにこれは保存状態最高で今でも実家に保存中)
マルゼンガスガンイングラム、
コクサイのスーパーウェポンM16、
コクサイのガスリボルバーS&WM19、
ファルコントーイコッキングMP5ダミーカートアクション機能付き、
(↑ちなみにこれは保存状態最高で今でも実家に保存中)
MGC固定ガスガンベレッタM93R、
グンゼコッキングガバメントコマンダー、3丁くらい買った、
(↑ケースレスガンのマガジンが割り箸からフルサイズになった)
LSのコッキングベレッタM92F、
LSのコッキングナストフスーパー、
LSのコッキングM16、M203グレネードランチャー付き、
マルイのコッキングルガーP08、5丁くらい買った、
マルイのコッキングS&WM645、
マルイのガスセンチメーターマスター、
マルイのガスステアーGB、2丁買った、
マルイのガスデザートイーグル、
マルシンのガスPPK、
マルシンのガスブローニング、
アオシマのデザートイーグル、

さて、
自分の上京後、イシケンも東京に定住していて、
またお互いナイスバッテリーの交友関係が復活した。

それから数年たったある時のことだ・・・
HOPアップという存在を知った。
どこからどのようにして知ったのか覚えていないが、
たまたま知ったのである。
お互い24歳くらいになった1993年の後半頃のことである。

その頃は完全にエアガンのトレンドから、
ワンテンポ遅れていて、かろうじて東京マルイが、
電動ガンなるものを出しているらしいということくらいしか知らなかった。
サバゲフィールドではエアタンクを背負ったゲーマーが、
一部、とんでもないパワーを出したガスガンで、
遊んでいることなどつゆしらずの状態だった。

あまり書きたくはないのだが当時は結構貧乏だったが、
さっそくHOP機能付きのコッキングガンのグロック17を買った。
早速、空缶にむけて撃った・・・

・・・第二の衝撃である。
イシケンと俺は飛び上がった。
物理の法則、重力の法則、度外視の不自然な弾道。
それまでエアガンの飛距離というものを知っていただけに、
これは驚いた、全くもって驚いた。
公園の端においた500mlの紙パックジュースに面白いように当たる。
信じられない飛距離と命中精度だ。
それにもかかわらず目で追っていけるくらいの弾速、
まるで誘導ミサイルのようだ。

あまりに面白いので二人でとことん撃って遊んだ。
1000発入りのBB弾なんてあっという間にカラッポになった。
真冬の一番寒い時の深夜ですら、完全防備で撃ちまくった。
エアガンに関心がなかった友人達も半ば無理矢理だったが、
それでも実際に撃たせてみたら皆、驚きと、興味を持って買っていった。
続くSIGのP228も買った。
本当にこの頃は純粋に射撃を楽しんでいた。

ところが・・・である。
悲しいかな人間の飽くなき欲求である。
もっと遠くへ!もっと小さいターゲットに!
という飽くなき探求心がムクムクと急速に発芽していくのである。

そしてこのしょうもない文章は、
とうとう命中精度にこだわる一人のアホウな男の現在へと続くのである・・・
続きは多分また明日。
( ってか仕事もしないで一日中これ書いてたんかい! )

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